院長プロフィール
- 氏名
- 江村浩昌(えむらひろあき)
- 生年月日
- 1961年10月16日
- 血液型
- A型
- 家族構成
- 妻とふたり
- 出身地
- 高知県高知市小学校5年生の時、高知市内唯一の海水浴場がある種崎に引越し、高校卒業までここで育ちました。磯の香りを嗅ぐと海に行きたくなります。
- 居住地
- 米軍横田基地のある福生市に現在住んでいます。
- 経歴
- 高知高等学校 卒業
読売国際ビジネス専門学校 中国ビジネス科 卒業
中国 北京第二外国語大学漢文科 留学
東洋カイロプラクティック専門学校 入学
上海中医薬大学 推拿・解剖研修コース 修了西大商事 入社
西武百貨店 入社
ロフト 入社高校卒業後、一浪して地元の大学に合格しました。
当時の私は、親の言うとおりに地元で学生生活を送りたくありませんでした。親の思い通りになりたくない、そんな気持ちがとても強かったのです。親元を離れて都会で生活すれば人生が変わると思っていました。
大学には通わず、両親の強い反対を押し切って大阪に行く道を自分で選びました。当時私の中では一番近い都会が大阪だったのです。
親父には勘当されました、当然ですね。「一切の資金援助はしない。大阪での生活費は自分でなんとか工面しろ」と言われました。
運良く新聞奨学生として販売店で勤務しながら勉強する道を探し出して、大阪の中国ビジネス専門学校に行きました。
中国を選んだのは、叔父が戦前中国上海に住んでいたことがあり、これから中国語は勉強した方が仕事で役に立つと私にアドバイスしてくれたからです。
この専門学校時代に、スキューバーダイビングにはまって、この道で仕事につくことを真面目に考えるようになりました。
そしてアルバイト中に腰を痛めたのです。
卒業後、中国との貿易を行う会社に就職。通関業務を担当していました。その後に会社を退職して中国・北京の外国語大学に留学しました。
それは専門学校時代の同級生が、中国の大学に編入したことを偶然知ったからです。
その縁を頼りに、専門学校時代に来日して語学講義をしていた先生に手紙を書きました。思い立ったら行動に移す、それが私の性格なのです。今はずいぶん慎重に行動するようになりましたけれども。
するとその先生が自分の勤務する大学に、私の編入手続きをしてくれたのです。留学中は、日本に帰国せず香港でアルバイトをしていました。
帰国後、西武百貨店に入社して大阪・梅田に出来た雑貨専門店ロフトで勤務しました。
転勤で関東に移り住み、数年後腰痛が再発。その辺りは 【私が開院した理由】に書いた通りです。
東洋カイロプラクティックの学校では、東洋式の整体施術とカイロプラクティック手技を学びました。
上海中医薬大学の推拿・解剖研修コースで解剖実習を受けました。
その後、鍼灸院に就職してマッサージ部門で勤務後、卒業した東洋カイロプラクティック学院の臨時スタッフになり川口市のカイロプラクティック治療院にて修行しました。
2006年、東京都・羽村市にて「むさしの療術センター」を開院。2008年、名称を「むさしの整体療術センター」に変更して現在にいたります。
- 趣味
- 私は、スキューバーダイビングにはまっていたヒトです。PADIのレスキューダイバーの資格を持っています。最近は全く潜っていませんので残念です。私は中国の大学に留学していたので中国語が少し解るヒトです。今ではかなり錆びついてしまいました(笑)。最近また勉強しています。
私は、海外個人旅行が好きなヒトです。留学時代、香港のゲストハウスで宿屋の受付を手伝っていた事があります。
留学中、学校の夏期休みを利用して香港からアジア・ヨーロッパに個人旅行をしていました。その時にはじめた飛行機会社のカトラリー集めが今も趣味になっています。
羽村市で開業してからは、自転車でポタリング(自転車散策)が趣味になりました。山遊びも楽しんでいます。
- 好きな言葉
- 明天会更好(明日は今日より良くなるという意味)人間万事塞翁が馬(世の中先がどうなるかわからないから目先のことで一喜一憂するなという意味)